残虐物語

残虐物語

ゴリオンの修道院に滞在したことの或るヤーコプという名の修道士が書いたと言われる物で、
ザンクト・ガレン修道院図書館写本第806号に基ずく、三十一項目です。


1.  かつて老領主ヤノシュは老ドラクルを殺害した。
   ドラキュラとその弟はその信仰に背き、キリスト教を保護し支持すると誓約した。

2.  ドラキュラは、ワラキア公になると直ちにそれまでの君主ラディスラウス・ヴァボタを殺害した。

3.  ドラキュラはヘルマンシュタット近郊のトランシルヴァニアの村や城を焼き討ちした後、ホルツヌヴドルフに因んで命名されたホルツネチヤも焼いた。

4.  ヴュツェルランドのベッケンドルフを焼き討ちにした。
   村民は老若男女を問わずことごとく連行し、全てを串刺しにした。

5.  休日に商売のためヴュツェルランドからやって来た商人や馭者を捕らえ、聖なる祝日にもかかわらず串刺しにした。

6.  言語習得の為ワラキア国内にやって来た各国の青年たちを捕らえて、焼き殺した。
   その総数は四百人にも達した。

7.  ある地主の貴族の一族を、幼児から老人までことごとく捕らえ、串刺しにした。

8.  ヴラドは裸にした男の下半身を土の中に埋め、矢を射て殺した。
   他の者は火あぶりにしたり、生きたまま皮を剥いだ。

9.  ダリンを捕らえ、彼に自分を葬る為の祈りを唱えさせ、更に墓穴を掘らせた後、殺害した。

10. ハンガリー王やトランシルヴァニア領主から、五十五名の使節団がワラキア公国に派遣された。
   ドラキュラは彼らを五週間にわたって監禁した上、その宿舎の周囲に杭を並べた。
   彼らは串刺しにされるのではないかと恐れおののいた。
   ドラキュラは、軍隊を率いてヴュツェルランドへ進攻し、村や城や町を襲撃して略奪した上、貴重な保存食まで焼き払った。
   捕虜は全て聖ヤコブ教会近くのクランスタットの町の郊外に連行した。
   周辺一帯全てを破壊し尽くした後、捕虜全員を教会脇の丘の周りで串刺しにし、ドラキュラはその光景を見物しながら食事をとった。

11. ドラキュラは聖バルトロメオ教会を焼き討ちし、祭礼服と聖餐杯を強奪した。
   また部下に命じてツァイディングという村を焼き討ちさせたが、兵士達は村民の抵抗にあって遂行できなかった為、隊長は捕らえられ串刺しにされた。

12. ドラキュラはヴュツェルラントからトウノヴやプレーゲルの近郊にやってきた商人六百名を捕らえて串刺しとした上、その商品を奪った。

13. 彼は柄が二つある大きな鍋を作らせ、その上に穴を空けた板を渡して、そこから捕虜の頭を突き出したかたちで釜茹でにした。

14. タルメッツ攻略の為にジーベンビュゲンに進攻した時、彼は敵兵をキャベツのように切り刻み、
   ヴァラヒャイに連行した捕虜達を様々な残酷な方法で串刺しにした。

15. 彼はおぞましい拷問方法を考案した。
   母親と幼児を共に串刺しにしたり、母親の乳房をえぐり落とし、幼児の頭をそこに押し込んで串刺しにした。
   その他様々な方法を工夫し、それはヘロデ、ネロ、ディオクレティアヌス等のキリスト教迫害者ですら思い付かない程の残虐な物だった。

16. 彼は老若男女の区別無く串刺しとした。
   捕らえられた者は手足を動かして身を守ろうとし、体をひねって転げまわり、痙攣した。
   それを見ながら彼は、「あいつらはなんと美しいことか」と言って楽しんだ。
   串刺しとなった者は異教徒、ユダヤ人、キリスト教徒、背教徒、ワラキア人等様々である。

17. 彼は盗みをはたらいたジプシーを捕らえた。
   ジプシー仲間達が犯人の釈放を嘆願した。
   ドラキュラはワラキア公国内では盗みは吊るし首にすると決められているとして、ジプシー達に犯人の処刑を命じた。
   ジプシー達は、我々の習俗にはそんな処罰は存在しないと言って拒否した。
   ドラキュラは犯人を釜で煮て、ジプシー達に食べさせた。

18. ある貴族がドラキュラのもとに伺候した。
   彼は串刺しにされた犠牲者をさらした杭がまるで森のように林立する中にいた。
   貴族はそのひどい悪臭に我慢できず、どうしてこのような所に居られるのかとドラキュラに尋ねた。
   彼は直ちにその貴族を串刺しにして、悪臭に悩まなくてもすむように一段と高い杭に掲げてやった。

19. ある司祭が、罪を犯したら自らその過ちを償うまでは許されないと説教した。
   ドラキュラはその司祭を食事に招いた。
   食卓で彼はわざと料理の中にパンの塊を落としておいた。
   司祭はスプーンでその塊をすくいあげた。
   ドラキュラは司祭が行った罪についての説教の内容を改めて問いただした後、
   「ではどうして私が料理の中に落としたパンの塊をおまえがすくいあげたのだ」と言って、彼を串刺しにした。

20. 彼はワラキア領内の全ての地主貴族達を館に招待して食事をともにした後、彼らに向かって、これまで何人の君主に使えていたかと尋ねた。
   ある者はとても数え切れないと言い、ある者は五十人、また三十人、また二十人、十二人と様々だったが、最年少の貴族でも七人と答えた。
   そこでドラキュラは彼ら五百名の貴族達を全員串刺し刑とした。

21. 彼の情婦が妊娠したと告白したが、それを信じなかった彼はその女を捕らえ、下腹部から胸までを切り裂いて、
   我が種がどこにあるのか世間に見せてやるがいい、と言い放った。
   女は妊娠していなかったのである。

22. キリスト暦1462年、ドラキュラはシュルタに進攻して、キリスト教徒や異教徒などあらゆる人々、二万五千人以上を殺害した。
   捕らえた中に美しい貴婦人がいたので、部下の一人が求めたが、ドラキュラは許さず、部下と貴婦人を一緒にしてキャベツのように切り刻めと命令した。
   その後、バルガライ地方一帯を焼き討ちした。

23. ヘルマンシュタットからの使節は、ドラキュラが焼き殺し、ゆで殺し、あるいは生皮を剥いだ犠牲者の他に、
   串刺しされた死者の列がまるで森のように林立しているのをワラキアで目撃している。

24. 彼はフグラシュ地方一帯の老若男女を全て集め、ワラキアへ連行して串刺しにした。
   財宝を埋めるために働いた兵士たちを斬首した。

25. 彼は数名の地主貴族を処刑し、その死体を素材とした料理を作らせて、貴族の友人たちを招待してその料理を食べさせた上で、彼らをも串刺しにした。

26. あまり短くみすぼらしいシャツを着た男を見たドラキュラは、その男の妻を呼び出して、「妻の仕事は何か」と問いただした。
   女は洗濯や料理や裁縫がそれだと答えた。
   ドラキュラはただちにその女を串刺しにした。
   妻が夫に相応しいシャツをこしらえてらなかったことが明白だったからである。
   彼は男に別の女を妻として与え、その新妻には、まず夫のためにシャツを作ることを命じ、背けば串刺しにすると脅した。

27. 彼は一頭の驢馬を串刺しにしたうえ、それにフランシスコ会修道士を重ねた。

28. 三百名のジプシーの集団がワラキア領内に出現したとき、彼はそのうち三名を捕えて炙り焼きにし、仲間に食べさせた上、
   「お前達はこうして最後の一人まで共食いを続けなければならない、それが嫌ならばトルコとの戦いに従軍せよ」と命じた。
   彼はジプシー達に牛皮を着せたうえ、その騎乗する馬も牛皮で覆ってトルコ軍に向かわせた。
   牛を嫌うトルコ軍の馬はたちまち逃げ出して川や湖に飛び込み、死んだ。
   それを追撃する事を命じられたジプシー達も、全て溺死した。

29. 彼はワラキアの貧民二百名を招いて食事を与えた後、全員を焼き殺してしまった。
   (この貧民の焼殺については、黒死病対策であったとする見方もある。)

30. 彼は幼児を火あぶりにして、その母親に食べさせた。
   女の乳房を切り落とし、その夫に食べさせた上で男を串刺しにした。

31. 西欧からやってきた使節がドラキュラの前に伺候し、一礼して脱帽したが、
   彼らはそのしたにもうひとつ、茶と赤の縁なし帽をかぶっていて、それを脱ごうとはしなかった。
   彼は「どうしてそれを取らないのか」と咎めたが、使節は「これは我が国の習慣であって、君主の前でも脱がないのだ」と説明した。
   ドラキュラは「それならばお前達の習慣をもっと強固なものにしてやろう」と言って、釘を持ち出し、某氏を頭に打ち付けてしまった。


以上三十一項目。
かなり誇張され、何故そうしたか等は特に書かれておらず、異なったことを理由にし、ドラキュラ公の残虐性が浮出るようにされた文章になっています。
それほどイスラム圏のトルコ軍に対して、キリスト教・ギリシャ正教の防壁としての活躍は他の同盟者にとっては心強いものであったと同時に、
その地域の覇権を狙うマチャーシュ・コルヴィヌス Matyas Corvinus 等にとっては邪魔な存在だったと容易に想像がつきます。
また、この政治宣伝用のパンフレットが各ヨーロッパに流布されたことは、ドラキュラの名が広くヨーロッパに伝えられ、知れ渡ったということです。


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